死んでもいい、かも?
16歳も年下の彼が、素敵なホテルを用意してくれて、素敵なセッ クスをしてくれたのは10日ほど前のこと。
残念ながら朝まで一緒に過ごせなかったけれど、私はその翌日に自宅に帰る電車で生まれて初めて「ああ、死んでもいいかも」と思った。
もちろん冷静に考えたらまだ死にたくない。
やるべきことやりたいことはまだたくさんあるし、残された人のことを思うと生きていたいし生きるべきだけれど、こんな安堵感は初めてだった。
私は結婚もしたし、相応に素敵なマンションにも住んだし、私たち夫婦にしてはいい車も所有できた。
会社員らしい余暇は充分楽しんだ。
かわいい娘が、いる。
少ないけれど友人にも恵まれて、両親は誠実に健在。
ずっと憧れていた外国人と素敵な恋愛もできて、英語も上達した。
そしてさらにこんな若くて優秀で素敵な男性と何度も夜を過ごして、大切に扱ってもらえた。
また同時期に、素敵な南米在住の男性とも出会えている。
まさにワンナイト狙いの遠距離なのに連絡が来て、あの夜の私のことを綺麗だったと褒めてくれるのだ。
彼のおかげで元オットからの愛も、今さらながらに受け取ることができた。
27歳の彼にとって私はただのエンターテイメントかもしれないけれど、私にとっては大変な自信と愛をもらえた1ヶ月だった。
けれど冷静に考えれば、彼は私の本当の願いを叶えてくれる人ではなかった。
連絡がマメではない。
まだ働き盛りなんだ。
たくさんのお誘いだって、あるだろう。
私たちは同じステージに立てない。
見た目や条件に惑わされていて、大切なものを失いかけていた。
私に最も必要なのは
安定した給与を稼ぐ優秀な男性ではなく、
娘のよいパパでもない。
この私と共に過ごしてくれるパートナー。
望みは結婚ではない。
同棲でもない。
会いたい時、互いに会う努力をし
肌が触れ合うキスやセッ クスを楽しみ
互いのために自分の時間を使うことを惜しまない
心と体を支え合うパートナーが欲しい。
これが私の望みだ。
27歳の将来あるこの青年ではないんだ。
半分は言い聞かせだが、半分は本音だ。